【ASD】主治医に見せようかと思って書いたメモ【双極性障害】

■長い前置き~The Long Preface~

今年の冬はそこそこ身体が動くので、サボってた通院を再開しようかと思い、ついでに自分を観察して考えたことをメモしてみた。

基本的には医者に渡す用なのであまり練られていない文章。特性なのか、個人の性格の問題なのかは専門家ではないのではっきりと断定は出来ません。

わりと友人知人向けに、取り扱いの参考になるかと思って公開します。あとは発達障害ってどんなのか分からんという人向けに。実例として参考にはなるかと。

それと客観的に考えるとやっぱりヘンテコなので、珍妙な生物を観察する面白さみたいなのはあると思います。

事前情報として、僕が専門家から正式に診断を出されているのは、ASD自閉症スペクトラム)と双極性障害

ASDは知的な遅れは基本的に無し。ただし凹凸はあります。言語能力はとても高い(と書いてあった)けど、知覚統合なんかが弱い(グループ作業、複数タスク処理、部分から全体を見渡せない)。平均すると普通のIQ。アスペルガー寄りだけど、ADHDっぽさも少しある感じ。

双極性障害(躁鬱)はラピッドサイクル。春夏辺りは元気で、秋冬になると死んでるパターンが多い。もっと細かく一月くらいの感覚でも躁と鬱を行き来してる気がするけど、よくわからない。

それぞれの障害の具体的な情報については専門書読むか、ググって下さい。所詮トーシロの雑記ということは念頭において読んでください。

 専門家の診断が出ていない、自己診断では「回避性パーソナリティ障害」とか「対人恐怖症」とか色々ありそう。

■自分観察/分析メモ(症状を中心に)

不眠症
 布団に入っても過思考のような状態がおさまらない。
 今日あったことや、今後の見通しなどについて、あるいは哲学的問題について、布団に入り、毛布をかぶっている状態でも延々と思考が連鎖していく。それらの思考は自分で止めることが出来ない。
 例えば文芸評論のテーマや分析、コラムのアイデアが思いつくと、つい布団から出てメモをしてしまう。
 気がつくと夜が明けていて、結局、正午付近にようやく眠れたりする。夜寝るために寝ないで起きている場合もあるが、寝ていないので頭痛と吐き気と倦怠感で仕事や学業に集中できない。

▼躁(多動)
 ちょっとしたきっかけで演説を始める。演説中は乖離して肩から自分をのぞき込んでいるような状態で、きーんと耳鳴りがして、ふわふわとして浮いているような身体感覚。
 こういう状態で議論になってしまうと、相手を完全に論破して面目を失わせるところまで行ってしまうこともあり、人間関係に支障が生ずる。あるいは八時間ほどしゃべり続けて、完全に声が枯れたことも。

 不眠時と同じく、過思考状態。これになると、歩かずにいられない、立ち止まっていられない。場所の広さによるが、例えばリビングだと1~2mほどの距離を厳格に定め、床の模様や継ぎ目を指標に、同じ歩幅、同じスピード、同じタイミングで往復しながら考え事をする。当然、この状態では自分の周囲に対する意識は消失している。長いと数時間そのまま。

▼過集中
 読書やゲーム、創作、仕事の記事執筆をしているときなどに起こる。ベッドの上で倒立しながら一日中読書していたりする。あとはトイレも好きで、本を持ち込んで一日中トイレにいることもある。普段は鼻呼吸だが、何故かこの状態の時は口が半開きになり、頻繁によだれを垂らしてしまう。

 趣味の分野では過集中はさほど問題はないが、仕事となると(例:記事の執筆)情報の裏取りなど些末な部分で(あるいは報酬に見合わないレベルで)調べものを始めてしまい。肝心の仕事が進まないことも。

▼こだわりの強さ
 服へのこだわり。ファッションへのこだわりはほぼ皆無だが、いつも来ている服以外を着るのが苦痛。肌ざわりの問題はかなりある。新しい服に慣れるのは大変。高校までは制服があったのでとても楽だった。ただし、その影響で制服っぽい服装になりがちである。例:Yシャツ、スラックス、ネクタイ、カーディガンなど。

 中学生から同じものをそのまま着続けているので、ジーンズなどは破けて元はそうではないのに七分丈になっているのを家族に言われてようやく履くのをやめて捨てた。ジャケットもやはり10年以上着ているが、ユザワヤで色々買って自分で裁縫して直しながら使い続けている。

 一応、下着類は毎日洗濯しているが、四季に合わせて変えるのが嫌なので一年中同じ4着くらいを着まわしている。
 温寒がにぶいので、真冬でもハーフパンツと半袖シャツのみで過ごす。当然体調を崩して頻繁に寝込むが、にぶいので自分では分からない。逆に夏場でも毛布を使っていたりする。

 狭いところ(既出のトイレもそう)が好きなので、寝袋が好き。ベッドや布団の上でも常に寝袋を使って寝ていた時期がある。逆立ちで本を読むのが好き(既出)というのも、圧迫感があるのが好きだからではないかと思われる。

 読み物がないとトイレに行けない。トイレで本を読む、というこだわりの因果が逆転して、いつの間にか読み物がないとトイレに入れなくなった。本棚から読みたい本を選定する作業がどうしても終わらなくて(何でも良い訳ではなく、その時の気分にあった本でなければならないため)、排泄に失敗することがあった(子供の頃)。
 現在はタブレットが複数の本代わりになるし、スマホでWEB記事を読むことも出来るので、以前ほど困らなくなった。昔は外出する時は読む本がなくならないよう20冊程度本を持ち歩いていた。その名残で今でも大容量の登山リュックを愛用。修学旅行では不安からプラケース3箱分を持って行ったのを覚えている(全部読んだが、遊園施設等の入場を一人だけ断り、入り口の花壇に座って読書したりしていて空気が読めなかった)。

 小学生の頃、横溝の金田一シリーズが好きで全部読んでおり、映画とドラマも好きだったので、古谷一行石坂浩二演ずる金田一耕助になりたくて、おかま帽をかぶり、フケを溜めるために一年間散髪と洗髪をやめていたことがあった。(これに関しては僕が感じる格好良さのポイントが人と違うことも原因だと母に言われた)

▼運動機能
 歩行が苦手。普通の人のように歩くことが出来ない。幼い頃から常につま先立ちで歩いており、バランスが悪い。つま先立ちなので階段からよく足を踏み外す、身体の成長で少なくなったが、小学生くらいまでは一日一回以上のペースで階段から転げ落ちていたので、痛みで泣いていても母は無視するようになった。今でも階段をドタドタ降りるのはうるさいし、危ないから止めなさいと言われるが、歩き方に起因するものなので無理。つま先歩きだとどうしてもステップを踏むような感じになってしまう。
 靴がすぐにすり減ってしまい、他は綺麗なのに親指のところだけ靴底にすぐ穴が開く。柔道をやっていたおかげで摺り足が身についているので、平地では出来るだけ摺り足で歩くようにしているが、やっぱり靴底がすごく擦り減る。

 自律神経が壊れてる。例えば、人間は鼻にある二つの穴のうちどちらか一つだけを使って主に呼吸しており、時間差でメインの鼻孔が入れ替わるようになっている(意識しては出来ない。自律神経の働きだから)。僕の場合、鼻孔の左右切り替え時に失敗して、頻繁に両方の鼻孔が塞がって呼吸出来なくなって困る。僕が鼻をふんすふんすと鳴らしていることが多いのはこれが原因です(陸で溺れているのです)。

▼緊張症
 極度の上がり症で、柔道の試合で勝ったことが少ない。明らかに実力差がある相手でも(乱取りでは10回投げてこちらは投げられないくらい)試合になると泥仕合になる。畳に上がる時点で、右足と右腕が同時に前に出てしまうような緊張ぶりで、仲間からはいつも「試合だと動きがロボットみたい」と言われていた。それなりに強かった自負はあるが、試合で結果は残せなかった。

 気がつくと一時間も二時間も歯を食いしばっている。そのせいで異常に顎の筋肉が発達している。しかし頭痛になるので困る。

 強く叱責されたり、理不尽な扱い(と僕が感じる)を受けると意識が遠のいて、乖離状態になる。度が酷いと不整脈を起こし、失神することもある。

 最近は減ったが、中学生の頃は頻繁に過呼吸になり、保健室でビニール袋ですーはーさせられていた。これは僕の他にも過呼吸の親友がおり、お互いに過呼吸が移りあうので、よく二人で保健室行きになっていた。原因は恐らくなんらかのストレス。

▼健忘
 ある特定の事柄については極端な記憶力を発揮するが、食べたばかりの食事の献立などは覚えていられない。曜日感覚を持たない。一万冊程度ある蔵書の場所は概ね暗記しているが、重要な書類や財布などはすぐに失くす。メモを取れと言われるが、メモを取るのを忘れるか、取ったメモを忘れるか失くす。子供の頃は腕に油性マジックで書いていた。

 かなりの努力を払っているが、時間にルーズ。約束の時間を守れることはほとんどない。これは昔からそう。その代わり、他人の遅刻には寛容。

※これらは下記の優先順位のことと関連があるかも知れない。

▼優先順位がつけられない
 物事に優先順位をつける機能が根本的に欠如している。論理的に何を優先すべきかは導き出せるのだが、それが分かっても実感として持てないので、他の些末なことを優先してしまったりする。
 無理に優先順位をつけようとするとコンフリクトが起こり、脳がエラーを吐いて、何も出来なくなってしまう。

▼共感能力、雰囲気を読む能力の欠如
 相手の気持ちが分からないのは本当に困る。
例:直前に身内に不幸があった(これは事前に承知していた)という友人と映画と食事に行ったとき、向こうは自分の悲しい気持ちを聞いて欲しかったのに、僕は観た映画の批評を延々続けた上、作品制作の際の誠実性について議論をふっかけてしまい、論難して泣かせてしまった(僕は論破されて泣いたのだと思い、ズルいと怒ったが、根本的に間違っていた)。
 シネフィル同士の会合では作品批評があらゆる事象に優先されるものだし、どんな時でも真剣に議論するということこそが誠実さを表すものだと思っていたが、和解ののちに、悩みを聞いて慰めて欲しかったのだということを知って驚いた。かなり前の出来事だが、申し訳ないことをしたと思い、未だに夜うなされることがある。
※記憶が若干曖昧なので事実と違う点があるかも

 曖昧なもの言いから何かを読み取るのが苦手。言葉を濁されると察することが出来ないので、「貴方の言う●●とは○○という意味で合っているか? あるいは××という解釈もありうるが」という形で質問攻めにしてしまう。正確には曖昧なもの言いから何かを読み取るのが苦手というよりも曖昧なために自分の知識と経験の範囲内であらゆる想定が行われてしまい、どれか一つに決めるのに決定力を欠くという状態だと思われる。論理的に考えて八割方この意味だろうという推理を持っていても、それだ!と直感する能力がないので、結局適宜質問して意味を固定するのが良かろうという判断になってしまう。

 僕「食事をしても良いか?」母「野菜炒めが冷蔵庫にあるよ」僕「食事をしても良いか」母「だから冷蔵庫に野菜炒めがあるよ」僕「食事をしても良いですか!?」という感じのやりとりがたくさんある(分かりやすい例として挙げた)。
 僕は実家にいる間は家族の食事に関しては母のテリトリーなので、それを尊重して食事の許可を求めているのだが、母は冷蔵庫にある野菜炒めの情報を渡してくる。僕は「なんで質問に答えてくれないんだ!」と怒るが、母曰く「冷蔵庫に野菜炒めがあるよ」は食事の許可も兼ねているのだという。冷静になって考えれば理屈は分かるのだけれど、実際の対応の時点ではそれが分からないので(何故か文字に起こして、例えば小説のシーンなどであれば理解できるのが謎)、困る。
 それに理屈は理解出来ても、野菜炒めなんてどうでもいいから(別に自分で料理してもいいし)、なんでストレートに質問に答えてくれないのかが分からない。
 この手のやり取りは無数にあり、日々の大きなストレス源になっている。

 基本的に相手が何を考えているのか感覚的には理解出来ないので、遭遇の可能性がある人の人格をエミュレートして脳内で延々と想定される会話を行うということを行っている。徘徊しながらぶつぶつ言っているときは大体このパターン。この作業はほとんど常に行われている。
 状況と相手を設定してのシミュレーションが主だが、これ以外にも歩くときに右足と左足どっちから出すか、どのタイルを踏むか、というようなことまで常に脳内のメモリを割いているので、普通の人のように実際に受け答えしたり、なんらかの作業をしたりということは可能ではあるのだが、ものすごく消耗する。というか、そのシミュレーション自体が失敗していることも多いので、現実の対応にも失敗して、どんどん自己肯定感が失われていく。知能検査の結果で(たぶん作文問題を見て)、防衛的な二面性、自己評価が低い、と書かれていた。

 周りを観察していると、16GBのメモリを積んだ人たちが3GBくらい使って普通に行動して、余剰の13GBを他のタスクに振り分けているのに対して、僕は10GBくらい使って普通っぽく行動して、残りの6GBで他のタスクをやりくりしなければならないことになっている、と感じる。

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 かなり長くなったが、全てを書き切れたわけではない。対策を練る上でも病識を持つのは良いことだと思うので、折に触れてまたメモは書こうと思う。

上記の文章だけを読んでいると、僕がとんでもなく面倒くさい奴だと思われそうだが、会ってみると意外と普通だったりすると思う。その原因は、この文章が自分の困った部分だけを抜き出したメモだから。がっつりバイアスが掛かっているのだから当然だ。

とはいえ、面倒くさい部分が多いことに変わりはない。

こんな面倒くさい人間を見捨てずに心配してくださる友人・知人の皆さんは本当にありがとうございます。僕がまだ生きてるのも皆さんのおかげです。

追伸

チャンドラークソジョークは思いついてついやっちまいました。後悔はしていない!