【マカロニウェスタン】朝起きて『怒りの荒野』観てえ……【レッスン1 顔面力で殺せ】

朝起きて気晴らしに短編小説でも書こうと思いたち、プロットとキャラクターを創造したところで(女子高生と男子小学生のボーイミーツガール)、パンチが足りないからマカロニウェスタン要素入れようと思考がねじくれた結果、ガンマン十戒を原典で改めて確認するためにTSUTAYAへ行った。

 

※先に言っておきますが僕は『怒りの荒野』もジェンマも大好きです。

▽トニーノ・ヴァレリ『怒りの荒野』

怒りの荒野 HDリマスター スペシャル・エディション Blu-ray

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1967年のマカロニウェスタン。主演は名優リー・ヴァン・クリーフと軽薄俳優ジュリアーノ・ジェンマ

ご存知の通り、「レッスン1 人にものを頼むな」から始まるガンマン十戒で有名な西部劇だ。しけた町でうんこの汲み取りと掃除を生業とするジェンマ演じるスコット青年が流れの無法者ヴァン・クリーフ演じるタルビーに出会い、憧れていたガンマンになろうと弟子入り志願する物語だ。

マカロニといえばどうしても陰惨な雰囲気が漂いがちである。そして僕も汚い連中が汚いことをして汚くばたばた死んでいく、そんなマカロニの陰惨な雰囲気が好きなのである。ゆがんでるなあ。

しかし、ジュリアーノ・ジェンマが画面で主役を張っている場合はその限りではない。

『怒りの荒野』も冒頭から大八車を引きながら嫌々うんこを汲み取って歩くスコット(死んだ娼婦が残した孤児)が町の連中からひたすらコケにされるシークエンスから始まる。桶の中のうんこ(たぶん泥水だけど)を真上からキッチリ画面に収めていくスタイルもマカロニ以外の何者でもない。なのにマスクは甘いがどうにも長屋の与太郎感が抜けきらないジェンマが演じると、全然締まらないし、悲惨さがまったく伝わって来ないのだ。

弛緩しきった雰囲気の中、町へ無法者タルビーが馬に乗ってやってくる。そこでマカロニお約束の顔面クローズアップ連発。鷹の眼のように鋭い眼光のヴァン・クリーフと「ほげえ、立派なお侍さまでねえか」という顔の与太郎が交互に映される。緊張、弛緩の繰り返しだ。顔面力のギャップだけでよくここまで謎のドキドキ感を誘発できるものだと感心せざるを得ない。

何故かスコットに優しくするタルビー(優しさには裏があるものだ)はサルーンで酒を奢ってやり、オマケにスコットを馬鹿にする男を射殺してくれる。正当防衛で釈放されたタルビーは私刑を避けて町を出るのだが、弟子入りしようとスコットは馬に乗って追いかける。

荒野を疾駆する長屋の与太郎、いくら締まらないといっても限度があるぞ、なんでだ?と思ってよくみると、この男、馬に鞍も鐙も付けていない。布を敷いただけのほぼ裸馬で足をぶらぶらさせながら両津勘吉並みの蟹股でへんらへんらと駆けていくのだ。

いくら貧乏とはいえ、馬もどうせパクったものなのだから馬具も一緒に持ってくりゃいいだろと思う。ここら辺で、このジュリアーノ・ジェンマが持つどこか“抜けてる”感じそのものが作品世界に反映されているのだなと気づく。スコットはただの可哀想な孤児ではない、底抜けの馬鹿なのだ。『怒りの荒野』は平和的なオプティミストの馬鹿が、銃を持つことで豹変する話なのである。

この後、タルビーに弟子入りし、ガンマン十戒を授けられつつ非情な世界に身をひたしていくスコットは、裏切者を脅迫するために町へ戻ってきたタルビーを助けるため、初めて人を殺す。おっかなびっくりぶっ殺したスコットだが殺人童貞を切ったことで豹変し、いかにもチンピラ感あふれる様子で肩をいからせ町を闊歩し、心配する恩人のじいさんをうるせえとはねつける。

その豹変具合がたまらんのよね。ジェンマって軽薄な感じでマカロニ世界に馴染まないよなあ、と思っていたところで腑抜けていた顔に喝が入り、スコットの顔面力がいきなり10倍くらいにアップする。小物っぽさは拭えないものの、長屋の与太郎では断じてない。マカロニらしいこけ脅しの美学とでもいうべきものの極致が、ジェンマの顔面力アップで表現されている。

ネタバレになるので詳しくは割愛するが、物語の最後はスコットが銃を捨て堅気に戻り、ちょっといい話感を醸し出して終わる。

もちろんそれはあくまでもいい話“感”であり、最大の悪党が無傷で放置される辺りに救いがなく、まぎれもなくマカロニである。あと銃を投げ捨てたスコットがかたわの浮浪者とおててつないで去っていくのも理解しがたい。なにか高尚なメッセージを読み取ろうとすれば出来なくもないが、物理的に汚いジジイと手をつなぐ必要はないだろ。比喩を使え比喩を。そういう即物的な表現もまた美味と感じることが出来る人間にはたまらないご馳走、それがマカロニウェスタンなのである。

 

※この映画は劇伴もタランティーノが流用したことで有名だが、僕が聞くとトーンダウンするYMOライディーンに聞こえてなんだか締まらない。いや、すごく好きな曲なのだが陰惨なシーンの後でもこのテーマとマカロニっぽくない青空の荒野を背景にパカラってるのを見るとなんだか真剣に「正義とは……命の価値とは……」とか考えるのが馬鹿らしくなってくるのである。トニーノ・ヴァレリってこの後『ミスター・ノーボディ』とか撮ってるんだよな。やっぱり先天的に陰惨な映画取れない人なんじゃなかろうか。

※一応マカロニなのでお情け程度に恋愛やお色気要素も入っているがたぶんスコットは最後まで童貞のまま。豹変した後、仲良さそうな娼婦のチャンネーとヤッてるとみる人もいるかも知れないが僕はヤッてないと思う。

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こういうところがマニアの駄目なところなんだよな。小ネタ的にオマージュやパロディを使いたがるくせにその興味関心をコントロール出来ないから、創作のための資料確認で目的と手段が入れ替わってしまう。自前の記憶を頼りに書くか、適当にネットで確認して終わらせりゃいいのに現物を端から端まで確認し直さなければ我慢ならない。今回もイタリア語と英語と吹き替えとどれでチェックするか迷いまくってしばらく観ては冒頭から見直すということを繰り返した末、マカロニって撮影時は言語バラバラで、配給の時に各国で吹き替えてるのが多かったんだっけと思い出し、結局吹き替えで観た。

明日こそは机から本の山をどうにか移動して作業するぞ!(今日はネット回線の契約関係とか忙しかったんだよ……)